sunwish


21世紀を向かえました。ほんとにアトムの時代に来てしまいました。
2000年に入ってから自分の回りが、自分自身が強烈な渦の中に 巻き込まれ毎日色々な出来事が起き、
色々な体験をし、さまざまな人と出会ってきました。
そんの中で印象に残った出来事、思い出深い体験、面白い人達を紹介して行きます。

ピクッ

10年ぶりかな?ボーリングへ行ったのは。昔のイメージのまま第一投。ピンは9本倒れましたが、私のふくらはぎがピクッ!足つっちゃいました。結果はご想像通り悲惨の一言。スコアー聞かないで下さい。

ウオタミン

どなたも1度は入った事があると思うんですが、魚民(うおたみ)。朝5時まで営業しているのも助かるし、お値段もリーズナブルで、そして私の友だちは魚民をウオタミンとカタカナの発音でかわいくウ・オ・タ・ミ・ンっと言います。う〜ん、結構気に入っています。この響き、最後のミンにはなにか惹かれます。そうそう最近よく見かけるのですが、和民(わたみ)これもかわいくワ・タ・ミ・ンと言うのかな〜その友人は、早く聞いてみたい。

Cherie Currie

Cherie Currie 御存じですか?今から20数年前にデビューした女性バンドRUNAWAYSのボーカルのお姉ちゃんです。そんな彼女のライブを見に行くことになり渋谷のON AIR WESTへ、絶対Cherieはデブっていると思い込んでいた私はビックリ!とても美しい女性がステージに現れたからです。昔懐かしい曲が次々に演奏され最後にあの曲「チュチュチュチュチュチューチェリーボームプ!」 打ち上げにもお邪魔したのですがCherieはひとり一人と挨拶し、とても気づかいの人でした。ちなみに今回のバックはJ-RUNAWAY。ドラムのミノルちゃんのファンになってしまいました。そして私達を招待してくれたのは、お友達のギターのバンです。そうそうバウワウの山本恭司さんも見かけました。

映画ロケ?

仕事中外が騒がしい、右翼の街宣車でもなく、近くの大学のパレードでもないみたいだし、でも外が騒がしい。それで覗いて見てビックリ! 道路は封鎖され警察車両やテレビ局の中継車などであふれかえり、空にはヘリコプターが旋回、それもかなりの数のヘリコプターが、ベランダの下を覗けば防弾チョッキを着ている警察、テレビで見たことのあるニュースキャスターやワイドショーのレポーターが中継の準備に忙しく動き回っている。ナ、ナンダこれは、事件か映画の撮影か?

火 事

火事に遭遇することってなかなか無いですよね。ホテルの外がやたら騒がしく覗いて見ると、なんと向かいのビルから煙りがあがっているじゃないですか。そこで2人の日本人は考えました。まずはカーテンを全開、そして椅子を窓際にスタンバイ。最後に冷えたビールにポテトチップス。 数時間のライブショーを2人の日本人は楽しんでいたのでした。

香 港

全くの知識も興味もないまま、香港に来てしまいました。空港からホテルまでのバスの中から、あのコンコルドが飛んでいるのを発見。(心の中で小さく感動、この時点であの悲劇を誰が想像したでしょう)香港の街はとてもエキサイティングでニューヨークに近い空気を感じました。東京では味わうことのできない街の勢いが…。こうなると私の中の街好きムシが疼き、ぷらぷらと歩き続けるのでした。地下鉄で適当な所で降り、その場所をプラプラしたり、トラムの2階の先頭に陣取りお上りさんをしたり、え〜となんて言ったけ展望台へ行くケーブルカー、ものすごい角度で登っていきました。そこから眺める高層ビル郡。まったく想像以上に楽しんでしまいました。ただ私、残念ながら食事がまったく合わず朝食のバイキングで食い貯めをし、あとはビールで満腹感を維持してました。それにあの湿度はいけません、毎日爆発状態頭。

パスポート

1986年10月にニューヨークへ行ったきり約13年間海外とは無縁だった私に社員旅行の話が舞い込んできました。当然パスポートも期限切で再取得の為に都庁へ、迷わず10年パスポートを申請したのですが、絶対5年後、10年後私はどこの国へも入国審査で引っ掛かるでしょう。

富士山

前日に降った雪にもめげず、引越しの荷物を湘南ナンバーのレンタカーに積み込み出発。高速に乗ってしまえば約5時間ほどのドライブ。静岡市を過ぎたあたりから見えてきますよねアレが。自分が日本人であることを思いださせてくれる山が、しかし不思議なもので新幹線の車窓から富士山が見えるとイイ気分になれるし、快晴の天気の中すそのから頂上まで見えでもしたら、宝くじが当たったくらいイイ気分になれるのも不思議です。

出戻り

信じられないほどあっけなくソレは決まってしまいました。いざ決まってしまうとやらなくてはいけない事が山ずみで、それからの2週間は部屋探しに始まり、引越しの手続き、仕事の整理など、それからセラミック切りも含め今までに無く忙しい毎日を送りました。そしてその後もこの忙しさに取り憑かれる事になろうとは、この時点ではまだ本人は気ずいていません。

願 望 !

1年4ヶ月。いくら体調を壊しリハビリをしてたといっても少し長すぎた。とは言っても簡単に復帰する事もできず、毎日「東京へ帰りたい」と思い続けることしかできない。伊勢神宮へ行ってお願いもした。クソ寒い中毎日往復40kmのCUBでの通勤にも耐えた。

CUB

1月午後11時、ここ日本では真冬、そして夜中といっていいでしょう。そんな中CUBに乗った男が毎日同じ時刻を国道1号線を疾走して行きます。交通量がめっきり減り制限速度を無視した自動車の流れになんとか付いて男は目的地を目指します。ゴーグルヘルメットに口元には寒さよけにバンダナを巻き、マフラーで襟元をかため革ジャンの上にハーフコートをまとい、毎日往復40kmの道のりをくそ寒い中よりによってCUBで職人の元へ通い続けた男がいました。「う〜さぶ〜っ」

職 人

1月の中ごろから約一ヶ月友人の工場を手伝う事になりました。まあ仕事事態は単調な作業の繰り返しなのですが、誤差+/-0.01m/mの世界。う〜ん響きは凄い、さすが町の製造業と言うよりは職人技ですね。ハニカムセラミックをバンドソーで切断するわけですがこれがなかなか上手く切れない。誤差+/-1mmって世界は太平洋ほどの余裕があるのですが、もひとつ0が増えるとなると少し緊張したものです。真っ直ぐ切れなかったり端が欠けたり、こうなるともう素人の私ではお手上げです。そこで職人はバンドソーをチョイチョイといじり見事に切断するのです。それから季節がら空気が乾燥してるせいか、静電気に悩まされました。ピリッとくるとセラミックを投げ出してしまうのですが、職人は涼しい顔で「静電気くるね。」っと何事も無かったかのようにセラミックを切り続けるのでした。

噂の愛車